top of page
境内のご案内
本堂
本堂には阿弥陀如来像、
釈迦如来像が祀られています。
勅使門
歴代天皇の信仰も厚く、花園天皇(在位1308~18)から寺紋として菊花紋を賜わりました。
供養塔
六波羅探題北方大将・北条仲時ならびに、南方大将北条時益は、この一方的な大敗を目の当たりにし、もはや京を脱出し、光厳天皇、後伏見・花園両上皇を奉じて、関東(鎌倉)へ遁走する術しかなかった。足利尊氏の命を受けた京極道誉率いる軍勢に阻まれ、仲時はもはやこれまでと、蓮華寺の庭で自刃、従者たちも次々と殉死していった。このとき自害した主従は総勢430名余と伝えられ、仲時らの死後、時の蓮華寺住職・同阿良向は、これら430名余の霊を供養するため、その姓名を記録(過去帳)に記し、48日間にわたって常行三昧の念仏を修したとされる。このときの過去帳が、重要文化財となっている「紙本墨書陸波羅南北過去帳」です。
番場忠太郎地蔵尊
昭和33年8月3日 文壇の雄長谷川伸先生が「南無帰命頂禮 親をたづぬる子には親を 子をたづねる親には子を めぐり合わせ給え」と悲願をこめて建立された地蔵尊である。このお地蔵さまを拝めて親子の縁はもとより、あらゆる縁が完全に結ばれて家庭円満の楽しみを受けることができる。それにはお互いがおがみ合う素直な心が大切である。それをこのお地蔵さまは合掌せよとお示めしになっている。
斉藤茂吉短歌碑
歌人・斎藤茂吉が恩師佐藤嶐応が蓮華寺第49代住職になったことから当寺に参詣し多くの短歌を残した。境内には「松風の おと聴く時は いにしへの 聖のごとく 我は寂しむ 茂吉」の歌碑が建立されている。
一向杉
樹齢700年余。滋賀県指定自然記念物。
開山した一向俊聖上人が1287年に亡くなった際、荼毘に付したこの地に植えられた。
地元民から一向杉と呼ばれている。
bottom of page